幕が降りた、その先で
——ステージの熱が、まだ消えない
最後の曲のイントロが鳴り響いた瞬間から、星宮ルナの記憶は途切れ途切れだった。ペンライトの海、割れんばかりの歓声、そして自分の心臓の音。すべてが混ざり合って、ひとつの巨大な熱になって体を駆け巡っていた。
楽屋のドアが閉まる。その瞬間、張り詰めていた糸がぷつりと切れた。
「——っ、は……」
膝から力が抜けて、ルナはその場にすとんと座り込んだ。冷たい床の感触が、火照った太ももに心地よい。握りしめたままのマイクが、かすかに震えている——いや、震えているのは自分の指のほうだった。

銀色の髪が汗で額に張りつき、ピンクのフリル衣装は片方の肩からずり落ちている。鏡に映る自分の姿は、さっきまでステージで何千人もの視線を一身に浴びていたアイドルとは、まるで別人だった。
「……最高だった」
誰に言うでもなく、ルナは呟いた。荒い息の合間に、唇が自然と弧を描く。頬を伝う汗なのか涙なのか、もうわからない。ただ、胸の奥でまだ音楽が鳴り続けていた。
オフの顔、零れる吐息
——誰にも見せない、無防備な時間
どれくらいそうしていただろう。ようやく椅子に這い上がったルナは、テーブルに置かれたペットボトルに手を伸ばした。
キャップを開ける指先がまだ少し震えている。冷たい水が喉を滑り落ちていく感覚に、思わず目を細めた。
「ん……っ」
急いで飲みすぎたせいで、水が一筋、顎を伝って鎖骨へと流れ落ちる。ひんやりとした雫の軌跡が、まだ熱を持った肌の上で小さく光った。

背中のジッパーをすこし下ろして、涼しい空気を入れる。衣装が緩んで、白い肩がさらに露わになった。ステージの高揚感がまだ体の芯に残っていて、頬の赤みは一向に引く気配がない。
「あー……こんな顔、ファンの子たちに見せられないな」
半分だけ開いた瞳に、楽屋のオレンジ色の照明が柔らかく映り込む。完璧に作り上げた笑顔でも、計算されたウインクでもない。ただ心地よい疲労感に身を委ねた、素のままの微笑み。それは、ステージの上のどんな表情よりもずっと艶っぽくて——ずっと、きれいだった。
鏡の向こうの、あなたへ
——今夜だけの、秘密の距離
火照りが少しずつ引いていく。呼吸が穏やかになるにつれて、ルナの表情にも柔らかさが戻ってきた。
化粧台の前に座り直し、頬杖をつく。テーブルの端には、今日届いたばかりのファンからの花束。淡いピンクのバラが、背後のイルミネーションの光を浴びてきらきらと揺れている。
「……ねえ」
鏡越しに、ルナがこちらを見た。着崩れた衣装のまま、肩を覗かせたまま。その瞳には、アイドルとしての輝きとも、疲れた少女の儚さとも違う——もっと近くて、もっと甘い色が宿っていた。

「今日のライブ、あなたも見ていてくれた?」
声は小さかったけれど、鏡の中の青い瞳は確かにこちらを真っ直ぐ捉えている。その視線に射抜かれて、心臓が一拍だけ跳ねた。
「……ありがとう。あなたがいてくれたから、今日のわたしは最高だった」
そう言って、ルナはふわりと笑った。ステージの上で何万回と振りまいてきたアイドルスマイルではない。化粧台のライトに照らされた、たったひとりのための、秘密の笑顔。
——余韻
楽屋の時計が、静かに時を刻んでいる。花束の甘い香りと、まだかすかに残る汗の匂い。鏡に映るルナの銀髪が、フェアリーライトの光を受けてさらさらと揺れた。
ステージの余韻は、やがて夜の静寂に溶けていく。けれど胸の奥に灯ったあの熱だけは——きっと明日のライブまで、消えることはないのだろう。
星宮ルナの夜は、まだ終わらない。
